
紀里谷 和明(きりや かずあき)監督といえば、
私の中でまず思い浮かぶのが実写版映画の「CASSHERN」。
さらに私のなかでキャシャーンと言えば、
1973年10月に放送が開始された「新造人間キャシャーン」なのですが、
SF&アニメファンの私としては、
非常にのめり込んだ作品の一つとなっています。
アニメでは、本編が始まるオープニング曲(OP)の更に冒頭で
たった ひとつの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーン がやらねば誰がやる!
というセリフが 納谷悟郎 さんによって語られるワケですが、
これがしこたまカッコイイ!
+( *゜∀゜*)+
その後、キャシャーンの相棒である
青いボディのロボット犬・フレンダーの遠吠えと共に
“ささき いさお”さんによる主題歌が歌われて...
という、この一連の導入部に感動しない視聴者はいなかったんじゃぁないかなぁ?
とにかく、かっこよかった!
(^ω^)ノ
そして、このアニメ・新造人間キャシャーンの主題歌は、
なんと “ささきいさお” さんのアニメソング・デビュー曲だったとうのも
付け加えさせて頂きたい情報。
o( *^ω^*)o
また、このアニメをザックリ説明しようとする場合、
じつは先ほどのOP冒頭で語られる納谷悟郎さんによるセリフが
全てを物語っているという事実が突きつけられてしまします。
(; ̄Д ̄)なん!
たった ひとつの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーン がやらねば誰がやる!
ほんと、この通りなんですよね。
まるで松尾芭蕉の俳句のごとく、
余計なモノを削ぎ落して本質をかたる...
(いや、すみません。
実のところ“松尾芭蕉”がどれ程の偉人かを語れるほど勉強していません ^^;)
そう表現したいくらい、
「新造人間キャシャーンってこういうモノなんだよ」というのを
シンプルに語ってくれています。
ですが、
新造人間キャシャーンを良く知らない方のために、
少し色をつけて説明させて頂くと...
東(あずま)博士の開発した公害処理用ロボットBK-1が落雷の衝撃を受けて自我を持ち、
公害の元凶となっている人間を処理すべきであると考えるようになり、
「ブライキングボス」を自称し、
戦闘ロボット軍団「アンドロ軍団」を作り上げて世界征服を開始した。東博士の息子鉄也は、
二度と人間に戻れぬ覚悟で人間と融合して完成する不死身の「新造人間」(ネオロイダー)キャシャーンとなり、
ロボット犬・フレンダー、恋人のルナとともに
アンドロ軍団に立ち向かう。だが、
数的優位にあるアンドロ軍団の勢いは、
無敵といえるキャシャーンをもってしても押しとどめることが困難であり、
孤独な戦いを続けるキャシャーンを尻目に、世界は次々とアンドロ軍団の手に陥ちて行く。果たしてキャシャーンと人類は、アンドロ軍団に勝利することが出来るのか?
引用元 Wikipedia
というストーリー。
これを紀里谷和明監督が映画監督としての処女作品として
2004年に実写映画化したのが「CASSHERN」。
当時、紀里谷監督は宇多田ヒカルさんと結婚していて
(2002年に結婚したが、2007年に離婚)、
テーマソング「誰かの願いが叶うころ」を嫁さんの宇多田さんが歌ったことでも話題になりました。
「CASSHERN」の主人公は“伊勢谷友介”さんが演じ、
宿敵のブライキング・ボス(新造人間)は“唐沢寿明”さんが演じるという豪華キャスト。
唐沢さんは「新造人間キャシャーン」に思い入れがあったらしく、
某番組でOPを歌っていたのを覚えています。
作品の内容はというと...
キャシャーンとブライキング・ボスとの対峙は原作と同じ。
キャラクターの名前なども踏襲しているなど、
原作をリスペクトはしていますが、
世界観やストーリーは別物です。
なにせ、
原作アニメではロボットであったブライキング・ボスやその部下たちですが、
映画ではキャシャーンと同じく「新造人間」となっています。
( ̄◇ ̄;)エッ …
(歩兵ロボットはそのままロボットで登場)
というか「新造人間」の定義がアニメの「ネオロイダー」のようなメカニカルなものではなく、
東博士の研究によって開発された“新造細胞”から生まれた人間を指し、
「新造人間」という名称も
新造細胞培養槽から生まれたブライキング・ボスが名乗ったモノになっています。
そして主人公の鉄也が一旦は戦死するのですが、
父親の東博士により新造細胞培養槽に浸けられたことで息を吹き返します。
ですから、
当初は新造人間となった鉄也は普通の人間の成りをしています。
それが蘇生後の筋肉の異常発達によって内圧が上がり、
そのままでは分裂、破裂してしまということで、
上月博士(鉄也の婚約者であるルナの父親)が試作した
高機能ボディアーマーを着装させられ、外から抑え込んで対処します。
これによって、
アニメ版のような姿のキャシャーンになる鉄也ですが、
1点大きくちがうのが...
ヘルメットをしていないというコトです。
アニメ版では
太陽光をエネルギーとして活動するキャシャーンですが、
それはヘルメットに付いた三日月形の鍬形が受光部になり、
エネルギーを得ています。
映画では、新造人間がそうした定義ではないため、ヘルメットを装着していません。
ですが、アニメファンのために映画のワンシーンにおいて、
棚に並んだ色々な軍用ヘルメットの並びが映し出されるのですが、
そこにアニメ版をリスペクトした三日月形の鍬形を付けた白いヘルメットを見るコトができます。
(^ω^)ノ
色々と細かいことを書きましたが、
映画の世界観が超大国大亜細亜連邦共和国がヨーロッパ連合と50年にわたる長期大戦に勝利した後の世界をバックボーンにしており、
環境破壊による国土の荒廃と人種階級差別を肯定するもので、
ハッキリ言って「暗い」感はあります。
そのためなのか、
あるいは冒頭で言った紀里谷監督の制作手法への非難のせいなのか?
映画に対するマスコミ評価は低かったですね。
あまり、良い噂を聞きませんでした。
б(´・ω・`;)
そうした中で私が一番気になったのは、
映画というのは制作途中や公開が間近になると、
出演者や監督がメディアに頻出して宣伝しますよね。
ですが、
紀里谷監督はそうした行動をほとんど取らなかったと記憶しています。
主演した伊勢谷さんも
“映画宣伝をしなくて良いのか?”
(ο´・ д・)??
などと心配していたようですが、
紀里谷監督があまりにそうした行動にでないため、
匙を投げてしまったと聞いたことがあります。
それも、紀里谷監督の「しくじり先生」の一つかと思います。
┐(  ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ
興行収入は悪くない
原作と大幅に異なる世界観 とか、
悪役を次々と倒す痛快さがない とか、
全編が暗いペシミズムで覆わている ...などなど
また、
元嫁の「宇多田ヒカルの新曲のプロモーション映像だ」などと言う揶揄もされ、
ずいぶんと酷評された感のある「CASSHERN」でしたが、
製作費6億円に対して
興行収入は約15億3000万円を記録しており、
「えっ?これって成功じゃん!」
(  ̄◇ ̄)ゞ
という成績を残しています。
しかも、
次作の「GOEMON」は製作費8.5億円に対し、興行収入14.3億円で、
CASSHERNの方がはるかにコストパフォーマンスがいい。
б(´・ω・`;)
メディアでは低い評価を受けていた紀里谷監督の「CASSHERN」ですが、
私は、映像美やペシミズムを含んだ緊張感など、
むしろ、映画評論家が非難する部分が好きですね。
原作キャシャーンをCASSHERNとして昇華させていると感じました。
ですから、非難する理由があまりピンと来ませんでしたね。
しかし、そうした実質的な成功に対し、
「コケた」感が強く伝わってしまった理由ってなんだろう?
と思いまして...
б(´・ω・`;)
その理由の一つに、
「紀里谷和明さんが日本の映画製作手法を無視した」コトが原因ではないか?
という話に非常に興味をもちました。
紀里谷監督がハリウッドで制作した最新映画『LAST KNIGHTS』が2015年秋に公開予定とされていますが、
そのインタビューの中に以下のようなコメントを見つけました。
(ハリウッドで映画製作は)日本のシステムとは全然違って、
1日12時間という確実に決められた枠の中で絶対的に撮影終わらせなきゃいけない。押したって15分です。
今回50日撮影しましたけど、
トータルで押した時間って、一時間ですよ。日本だと平気で徹夜とかがあると思うんですが、それはあり得ない。
それによって12時間のうちの最後の一時間とかは怒鳴りあいになってやりますけれど、
なにが来てもそんなに動じないというのはあります。どうにかして対応してやらなければいけなし、文句言ってる暇もない。
ほとんどのことで動じなくなります。
これらのことすべて、
指揮官である映画監督の力量だと思って望んでいるんですよ。
というコメントを見つけました。
1日の撮影時間が
ハリウッドでは12時間以内と決められているのに対し、
日本では平気で徹夜もあり得る。
この違いは一体なぜなのしょう?
(ο´・ д・)??
アメリカには、全米映画俳優組合(The Screen Actors Guild、略称:SAG)というモノがあり、
SAGは1933年に、
ハリウッド俳優が大手の映画製作会社から、
不利な労働時間や休暇条件、
制作会社側の一方的な自動更新を含む搾取的な多年契約を強要されつつあることを受けて、
俳優側の条件改善を期するため設立された。引用元 Wikipedia
という説明がなされています。
おそらくですが、
こうした組合等の力によって、俳優の労働時間が守られいるのでしょう。
これがどういうコトを意味するかを考えた場合、
映画制作にたいするコストが見える化する部分があると言えます。
つまり、
企画や脚本が出来あがる時点で時間的コストが大まかに分かり、
スケジュールが明確になる要因の一つになると考えられるからです。
そうなれば映画製作サイドも、
この映画の製作費にはいくら掛かるのか?
それがシステマチックに分かるワケですよね。
良いことじゃないでか!
o( * ̄^ ̄*)oキッパリ
つまり、
かかる製作費が捻出できなければ、映画はできない。
それが、より客観的に判断できる。
それだけのことです...
わかりやすい!
( ._.)ウン
対して、日本映画はどうなんでしょうか?
“日本だと平気で徹夜とかがあると思うんですが、それはあり得ない。”
という紀里谷監督の言うコトを鵜呑みにするなら、
日本の映画製作は、
“これだけの製作費しか出せないから、それで(いついつまでに)作ってね!”
みたいな感覚を受けませんか?
これって、まるでブラック企業?
もし、そうした中で紀里谷監督がハリウッド流を通そうとしたら、
とうぜん無理は利かないわけですから、
制作時間がいつもより長引くわけです。
つまり、コストがかかる。
これは、制作側からすれば都合が悪いですよね。
日本には「郷に入っては郷に従え」という諺がありますが、
紀里谷さんは映画監督としての処女作である「CASSHERN」において、
若気の至りからなのか日本流の映画作りに妥協することができずに郷を無視して従わなかったことで、
それらが「しくじり」として大きく長く尾を引いて、
結果的に紀里谷さんに覆いかぶさってきたとき
10年間も撮りたい映画を撮ることができず、
無駄な時間を過ごすことになってしまった。
ということになったようです。
( ̄ロ ̄lll)
その辺りの詳しいところは、
8月3日放送のテレビ朝日系バラエティー
『しくじり先生 俺みたいになるな!! 2時間SP』に紀里谷和明氏が登場し、
暴露するようなので興味の湧くところ。
ですが、
ここで紀里谷さんの行いを
一概に「しくじり」と括ってよいものでしょうか?
私は、邦画のSF = 日本でつくるCGを駆使したSF映画で、
好評を得た映画をほとんど聞いたことがありません。
人気アニメや小説を土台にし、
旬な俳優を出演させた邦画では、
前宣伝は良くても、
蓋を開けたらダダ下がりな評価を受ける映画ばかりが目に付きます。
そう、
日本の映画ファンは、
薄々どころか根本的な原因に気づいていますよ。
お金の掛け方が間違っていると...
確かに、
「CASSHERN」当時の紀里谷さんは、鼻持ちならない若造だったのでしょう。
だからと言って、
「CASSHERN」がに2005年1月の日本映画のワーストを評価する
週刊文春主催の「文春きいちご賞」において、
『デビルマン』に次ぐワースト2位の地位を与えられて貶められたことには、
ちょっと納得できない感が私にはあります。
そうした評価は、
紀里谷監督に向けられるものではなく、
『日本映画界のあり方に対して』 与えるべきモノではないでしょうか?
なにせ未だに、
ハリウッドSF映画を超えたと言われる日本SF映画(アニメを除く)を聞いたことが無いものですから。
б(´・ω・`;)
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